250余年のあゆみ
昭和50年代
写真:中央研究所(現在の成田研究所)
昭和50年(1975年)、成田の中央研究所が完成し、新薬の開発に向けて研究開発力の大幅な強化が図られました。そして昭和52年、会社設立50年のこの年、泰道(数土)直方専務が新社長に就任。「新生!躍動! 繁栄!」のスローガンを掲げ、新たにスタートしました。同年には福島工場建設もはじまり、さらに飛躍する基礎が着々と出来上がっていきました。
写真:「新生!躍動!繁栄!」のスローガン
写真:福島工場
昭和53年(1978年)エスカップ群を中心に業績を伸ばし、増収増益の決算となりました。建設中だった福島工場は、液剤の専門工場として4月に操業を開始しました。洗瓶から倉庫への搬入まで、すべてがオートメーション化された一貫ラインを設置。GMP※基準をはるかに超えた生産設備でした。その他製品では便秘治療薬「スルーラック」を発売しました。
昭和55年(1980年)の売上目標は300億円。医薬品業界の生き残り競争に拍車がかかる中、医療用医薬品の新薬として、ハイペラン液・軟膏(坑白癬菌剤)、エスクレ坐剤(鎮静・催眠剤)、アルピニー剤(小児用解熱鎮痛坐薬)を発売。ハイペランは当社自社開発の第1号の医療用医薬品となりました。
※GMP…医薬品及び医薬部外品の製造管理および品質管理の基準。
昭和56年(1981年)、改正薬事法を中心に医薬品の安全性・品質面への監視がさらに厳しくなる中、国内の医薬品総生産額は3兆6790億円に達し、世界の1、2位を争う生産額になりました。競争が熾烈を極める中、当社は全国的販売網を強固に確立するべく、3月に名古屋支店新社屋、6月に九州支店新社屋を新築し、成田工場の増設工事も行いました。
昭和57年(1982年)には医薬品総生産額は3兆9800億円となり、このうちOTC医薬品は約5700億円で全体の14%強。この比率は年々低下してきたことから、業界では「OTC医薬品の地盤沈下」と言われ、OTC医薬品メーカーを中心に、業界で何らかの振興策を実施すべきとの声が高まりました。
写真:「ラカルト・ニュー5」発売
当社は2月に高カロリー輸液混合ビタミン剤「MVI注エスエス」(アメリカのビタミン社との提携)を発売し、医療用医薬品部門の柱に成長。7月に薬局薬店向けに新発売した「ラカルト・ニュー5」(ドイツに本社拠点を置くベーリンガーインゲルハイムと提携)も、売上に大きく貢献しました。
昭和59年、(1984年)医療用医薬品としてセフェム系抗生物質製剤「L-キサール顆粒」を発売。拠点も3月仙台支店、沖縄営業所を開設しました。