250余年のあゆみ
昭和40年代
写真:当時の主力製品
昭和40年(1965年)には、チェーン会員1万店確保を目標にチェーン活動を推し進めていくことが決定し、営業活動の一層の充実を図るため、大阪支店新社屋を建設。
製品ではビタミン剤「ネーブルキャップ」「ユースゲンベスト」、ドリンク剤「エスカップE」、風邪薬「エスタックW」を新発売。またこの年はじめて従業員数が1000名を超えました。
昭和42年(1967年)にはビタミン剤「エスファイト」を発売。システイン配合のエスファイトは独創的なビタミン剤として脚光を浴びました。
写真:東証第二部上場
(当時のエスエスチェーン通信)
昭和44年(1969年)、8月に東証二部に上場。
一般公募の結果、資本金は6億7000万円となり、
従来、株主が顧客であるエスエスチェーン店であったのに代わり、
社会の公器としての道を歩むことになりました。
写真:浜町本社
しかし同時に、エスエスチェーンは一つのステークホルダーという存在となり、新たな経営体制へ脱皮していく責任がともなうことになりました。
また11月に新しい本社社屋を、日本橋浜町に落成。
更に同年、医療用医薬品に進出すべく医薬品部が新設され業務を開始しました。
チェーン会員は1万732店。
上場を記念して1株当たり1.5円の増配を行いました。
写真:「ハイチオールC」発売
昭和45年(1970年)12月には泰道照山社長が会長に就任し、森山喜由副社長が新社長に就任。
そして翌年の昭和46年2月1日、東証一部へ指定替えが実現。東証二部に上場して以来わずか1年半足らずで当時の最短記録でした。9月には横浜工場が落成し、さらに念願の売上100億円(営業ベース)をついに達成しました。
昭和47年(1972年)5月には、新しいL-システイン製剤として「ハイチオールC」を発売。
またこの年、エスエスチェーン薬局に新しいアイドル「Vサインピョンちゃん」が誕生しました。